第5章 注意の容量の問題

情報の抽出について

我々は、豊富に飛び交う情報の中から、フィルターを通して情報を取り出しているという理論があります。確かに、この世界に飛び交う情報の全てを知覚するといったことはありません。しかし、自身の生命活動に必要の無い情報をフィルターを通して取り除いているというような理論は意味を持たないです。ただ、知覚の主体者が情報を抽出するか否かによって、知覚される情報もあれば、知覚されない情報もあるのです。
知覚されない情報には、その情報を知覚する感覚装置を持たないために抽出できないものや、感覚装置は備わっているが、その情報を選び取る能力がない場合に抽出されないものがあります。すなわち、図式として準備できていないがために、無視されてしまう情報があるということです。

ninchiimages501

選択的注意について

注意を払うという行動は、選ばれなかった情報を排除したり、無視したりするような消極的な行動ではなく、知覚したい情報を選び取るといった積極的な行動です。知覚主体者の個人の経験に基づき築き上げられた図式の中で、現在多くの情報を知覚できる状況にいながら、ある一つの情報に注意を払うといったことが行われます。

例:多くの人が行き交う町の駅で、自身の家族を見つけ出し、知覚する。
町の喫茶店で、音楽や多くの話し言葉が飛び交う中、近くの仲間の話のみを知覚する。

「選択的聴取と注意の理論」

知覚内容の受動的な処理について

トレイスマンは、受け取った情報の特性によっては、削除あるいは減退させるフィルターがあると唱えました。
ドイッチェ夫妻は、知覚は全てにおいて行われるが、注意を払われていない情報は記憶から次々に忘却されると唱えました。

情報の能動的な抽出について

これらの仮説に対して、ナイサーは知覚内容を能動的に処理することによって、必要な情報を豊富に知覚できるのであると主張します。

情報は「受け取る」というイメージで考えていくと、どうしても不必要な情報を排除する、または忘却するといった否消極定的な処理を連想しやすい。
情報を「取り出す」というイメージで考えていくことにより、不必要な情報をどのように処理するかではなく、必要な情報をどのように処理するかという積極的な情報処理を考えていけるのである。

「選択的注視」

選択的注視について

同じ程度の2つの刺激から、1つの刺激だけを選択し、知覚することができる。これは、上述したように、他の刺激に注意を払わないように意識するものではなく、知覚したい1つの刺激に注意を払えばよいのである。ロバート・ベクレンとU・ナイサーは、異なる映像が二重に映る装置を用いて、片方の映像が映し出す動きのみを追視するようにと指示した実験において、その追視が可能であることを示している。

「取得された技能としての二重注意」

19世紀にソロモンスとスタインが行ったあるものを読みながら、他のものを書き取るという「二重注意」の研究は、1915年にダウニィとアンダーソンが追試し、さらにはスペルクとハーストによって後に更なる追試が行われた。
そこから得られた結果は、
・経験者と未経験者では作業遂行能力に差があるということ。
・注意を払っていない情報の処理も自動的に行いうるということ。
・その注意を払っていない情報に注意を払うことを条件付けると、今まで注意を払って行っていた作業量が減退するということ。
例えば、熟練したタイピストがおしゃべりをしながらタイプしたり、ハンドルを操作しながらアクセルの強弱をつけギヤを換えるといった自動車の運転ができるのも熟練した技能の獲得による成果である。 限られた「注意の容量」で操作を行うには、注意を払っていない自動化した作業を身に付ける訓練が必要なのである。

「自動的な抽出はあるか?」

注意を払っていなかった情報をどのように知覚するのか?

→注意を払って知覚している…知覚循環の中にある情報とは別に、自動的な情報受信システムにある程度蓄積されるので、そこから抽出している。
情報を自動的に抽出し、知覚するシステムも備えているので、同じカテゴリーに属する異なった情報が提示された場合、片方を無視することが難しい。
→スクリーンなどに提示された数字を瞬間的に見た後に、他の数字が音声で流れた場合、音声を無視してスクリーンに提示された数字を答える事は難しい。
「緑」と書かれて、色を答えるように指示されても、文字の意味を無視する事が難しい。このように、指示されていなくとも、自動的に知覚が始まってしまうケースがある。

「容量の限界」

☆「容量」とは、物が入れられる受動的な容器には適しているが、能動的で発達する構造にはあては まらない概念です。
知覚活動に限界は考えられるが、その限界を「容量」という概念で考えることは間違いなのです。
人間は、2つの異なる活動を行う場合、身体的・物理的に不可能な課題があります。
例えば「どちらか一方の手で字を書きながら、同時に同じ手でボールを投げる」といった課題です。一方、「話をしながら、ピアノを弾く」といった課題は同時に2つの活動を行うのですが、身体的・物 理的には遂行 可能な活動であり、訓練を積むことによって獲得できる活動です。
ですが、「ピアノを弾く」という活動を主たる活動、「話しをする」という活動を副次的な活動と置いた場合、「ピアノを弾く」中で、複雑な楽節にぶつかった場合、「話をする」という副次的な活動を中断し、「ピアノを弾く」という活動に専念して遂行させていくことがあります。
このような時、知覚活動の限界が見られます。

「意識」

「注意を払う」という活動があります。「意識を向ける」というのも活動です。「意識」は常日頃からの«状態»ではなく、«活動»であるという認識が必要なのです。
○ 実験者効果 = 実験者の諸特性や行動が実験結果に影響を及ぼすことをいう。
特に、実験者の持つ実験結果についての期待や仮説が実験結果に影響を及ぼすことを意味する実験者期待効果を指して用いられることもある。
意図しない実験者側の要因が混入することにより実験結果が歪められてしまうと、実験の妥当性が減ぜられる。実験者期待効果は、実験結果についての期待が実験者自身の言語・非言語的行動の微妙な変化として一般に無意図的に表出され、被験者に伝達されることによって生起すると考えられている。
実験者の行動は、実験事態のほかの様々な要素とともに、実験において被験者に自分がいかに行動すべきかの手がかりとして受け取られることがある。
→オーンはこれを要求特性と呼び、このような手がかりが被験者の行動を支配し、一般に認知した実験者の要求に合わせて行動するという意味で実験結果が歪められてしまうことを指摘している。

このページへの無断リンク・コピー・転用を禁止いたします。また、内容に関してのお問い合わせもご容赦願います。